(2011.8.18更新)
サマーブレイク開けの第11戦チェコGP。金曜と土曜のセッションはダニ・ペドロサ(レプソル・ホンダ)が圧倒的なペースと仕上がりで、日曜のレースも文句なしの独走勝利パターンになりそうな気配だった。決勝レースではホールショットを奪って1コーナーへ入っていったものの、ホルヘ・ロレンソ(ヤマハ・ファクトリー)がトップを奪回。その背後で様子を見ていたペドロサは3周目にトップに立ち、さあここから独走……、という矢先にフロントを切れ込ませて転倒。最大の優勝候補が予想外にあっけない幕切れになってしまった。
その後は、チームメイトのケーシー・ストーナーが頭ひとつぬきんでたラップタイムで後続をぐいぐい引き離し、今季6勝目。2位にはこれまたレプソル・ホンダのアンドレア・ドヴィツィオーゾ、3位はMotoGP初表彰台のマルコ・シモンチェッリ(サンカルロ・ホンダ・グレッシーニ)とホンダ勢が表彰台独占。ロレンソは4位で終え、ストーナーとのポイント差は32に広がった。
というのがレースの結果。で、それはともかくとしてブルノサーキットのパドックで最大の話題のひとつになったのは、今回もやはり、各選手たちの日本GP参戦可否の去就だった。FIMとDONRAが調査を依頼していた独立調査機関ARPA(agenzia regionale prevenzione e ambiente dell’emila romagna)によるリサーチ結果が、「放射線の影響による危険は無視しうるレベル」というものであったことから、懸案だった日本GP開催は予定どおり10月2日に行うとして正式にアナウンスされた。この発表を受けて、選手がどういう反応を示すかというところに注目が集まった、というわけだ。
木曜日の段階では、サマーブレイク前までかたくなに拒否の姿勢を公言していたストーナーとロレンソはともに、前言を撤回するほどではないものの、再考中とのニュアンスで発言し、日本GPの参戦に柔軟な含みを見せ始めた。一方で、もてぎへ行くように圧力をかけられていると公言する選手や、「日本は大丈夫だという情報で、行くべきだとも思うし行ってもいいとも思う。ただ、他の選手たちの意見も併せて考えたうえで皆で決めたい」と発言する選手もいた。
金曜夕刻には恒例のセーフティコミッションが行われたが、今回は前回までのように全選手が出席するには至らず、特に彼らのあいだで新しい動きがはじまったり何らかの結論が出るには至らなかった。全員が出席していないことに対して、一部出席者からは不満と不審の声も上がったようだが、ARPA調査結果と日本GP開催正式通知を受けて、選手たちの態度や立場、考え方の様々な違いがここに来て顕在化し始めたことはまちがいなさそうだ。
一方、ミーティングの席上では、日本に行くことをなんとか回避したいという雰囲気は相変わらず根強いものの、半ばあきらめに近いムードも漂い始めていたようだ。ある選手は、現状について「前線を突破されてしまったような状態。もはや抵抗するすべはない」と表現する。「来年の契約を締結してもらえない(or現契約を破棄される)と脅されているので、日本へ行かざるをえない」という声もある。
このセーフティコミッションの様子を報じたあるメディアは「日本人の青山博一ただ一人が満足げな表情で会場から出てきた」と描写した。ニュースの受け手に特定の印象を与えようとする露骨な表現手法だが、これについての議論は後段まで少し措く。
それにしても、木曜の発言やセーフティコミッションでの言葉にあるように、チームやメーカーは本当に選手たちに対して圧力をかけているのだろうか。圧力をかけられている、と明言した選手が所属するチームの責任者に話を聞いてみた。
「自分たちが知る限りの現在の日本の状況は説明した。食品や水に関する事柄やニュースも、隠すことなく正直に話した。しかし、契約や賠償問題に言及したり、暗黙裡にそれをちらつかせて何かを迫ったことなど一度もない」
という。このように話が食い違うのは、両者のいずれかもしくは双方が嘘をついているのか。それとも、ただ単に両者の解釈に齟齬が生じているか、のいずれかだろう。
あるいは、水面下では契約を全面に押し出してその履行を要求している場合もあるかもしれない。じっさいに、チームやファクトリーの契約履行要求を、「脅迫」「高圧的」と捉える向きもあるようだ。だが、その場合、弾力的かつ柔軟な対応はそもそも契約条件に含意されたことなのか。そうでないならば、契約条項の一時的かつ恣意的な運用は許容範囲なのかどうか、といった事柄は、それぞれ個別の事例として独立に判断されるべきだろう。
それを、「強大な権力を持った企業(チーム)が選手を脅迫している」あるいは「すでに合意済みの契約を勝手に違反しようとする選手のわがまま」と単純化して片方を悪者視するのは、思考としてあまりに平板で稚拙だ。
もうひとつ気になるのは、「行くべきだとも思うし行ってもいいとも思う。ただ、他の選手たちの意見も併せて考えたうえで皆で決めたいと思う」という選手の発言だ。日本GPに参戦するかどうかは、各チームや選手が個々に判断すれば良いことだ。にもかかわらず、「皆で意見を統一したい」という言葉が出てくるのは、その背景に何らかの同調圧力が彼らの内部で働いているのではないか、という想像も働く。同調圧力は、かけているほうが明言したり具体性を意識していないとしても、かけられているほうがそれと認識した瞬間から同調圧力として働き始める。これは、みなさんの身近なコミュニティや会社社会などを思い出せば、容易に納得がいくだろう。この部分の詳細については、いずれ日本GP問題が本格的に決着した際に、機会があれば触れてみたい。
それにしても、今回の問題について各国のメディア関係者と話をしていて感じるのは、国ごとの反応の違いだ。たとえば英国系の人々は、どちらかというと冷静なように見える。福島第一原発事故の詳細理解と現状把握、放射線や環境への影響に関する考察と判断に関しても、客観的な視点と落ち着いた思考を持っている印象を受ける。対照的なのが、イタリアの報道だ。僕は、日本人メディアの中でもイタリア人関係者とは交流を持っているほうだと思う。が、こと今回の事例に関する限り、彼らと話をしていて感じるのは「絶対に危険に決まっている」という前提、というかある種の思い込みに近い強迫観念だ。前述のARPAのレポートも「政府情報なんて信用できない」というレベルに近いものと見なしている節もある(疑心暗鬼の陰謀論、とまでは言わないけれども……)。そして、彼らと話をしていると、どうやらその背後にはチェルノブイリの記憶がいまだに鮮明に焼き付いているようだ、ということも感じ取れる。
彼らにとって身近な場所で発生した大事故に相当な恐怖を感じたであろうことは、原子力災害をいままさに経験している我々には非常によく理解できる。しかし、今の日本の状況を当時ロシアで発生した事故にたとえ、「政府はずっと情報を隠蔽していた。この二十数年で何百万人もの人々が亡くなった」と単純比較してしまうのは(その事故評価も含めて)どうなのだろう、と首を傾げたくもなる。
ともあれ、そのような背景を読み解けるようになると、なぜイタリアの選手や関係者たちがあそこまでかたくなに日本行きへの拒絶反応を示すのか、そして彼らの声をメディアが増幅してさらに世論誘導的かつ印象操作的な論調に傾いてゆくのか、という事情も理解しやすくなる。
とはいえ、そのような明らかにバランスを欠いた報道であったとしても、何も言わないよりはましだろう。それらの報道に対してさらに様々な議論が生じる余地はあるのだから。
翻って、日本を見てみると、今回の日本GP開催問題に関する闊達な議論は、日本の二輪メディアではほとんど行われていないように見える。僕がただ蚊帳の外にいて何も知らされず気づいていないだけかもしれないけれども、本当に誰も何も発言していないのだとすれば、不思議きわまりない。メディアの三原則が、<報道・批評・啓蒙>にあるとするならば、そのいずれもまったく機能していないということになりはしないか? とはいうものの、それは他人を批判すべきことではなく、自分の力の至らなさや拙さとして顧みるべきことなのだろう。
なお、選手や個々の関係者を指弾することが目的ではないので、今回はあえて多くの固有名詞を伏せている。
できれば多くの方々に読んでいただき、ご意見をお聞かせいただければ幸甚です。