(2011.11.9更新)
2011年シーズン最終戦のバレンシアGPは、多くの人々の記憶にいつまでも残るレースになるのだろう。前戦マレーシアGPで不慮の死を遂げたマルコ・シモンチェッリ選手の追悼レースになった今回のグランプリは、全クラス全チームの全選手、そしてパドック内の活動に関わるありとあらゆる人々が、何らかの形で故人を偲ぶアイテムを身につけてレースウィークを過ごした。決勝日の午前には、追悼イベントとしてケヴィン・シュワンツ氏の先導で3クラス全車がコース上を1周。メインストレート上にマシンが勢揃いすると、盛大に花火が打ち上げられるという追悼行事が執り行われた。遺族の希望により、通常の一分間の黙祷ではなく、このような形式になったのだが、陽気で気さくで何よりもレースを愛した才能豊かな人物の夭逝を悼むに相応しい式典だったと思う。
そして、Moto2クラスの決勝レースでは、故人と同じグレシーニレーシングに所属する同国人のミケーレ・ピロがポールポジションから後続を突き放して独走優勝を達成。奇跡のような展開は、今後も長らく人々の記憶に焼き付けられ、語り続けられることだろう。
- 「決勝レースはとても難しいコンディションになったけれども、集中力を切らさないように全力で走った。そして、そこから先はマルコが力を貸してくれたんだ。今日のレースでは、ずっとマルコがそばにいてくれた。『ぼくをひとりにしないでくれよ』と毎周、マルコに話しかけていたんだ。27周もの長丁場を自分ひとりの力だけで走りきるのはとても大変なことだから」
このレース展開とこのコメントを見れば、おそらく多くの人が2003年南アフリカGPを思い出すのではないだろうか。加藤大治郎選手の追悼レースとなったあの日の決勝でセテ・ジベルナウが見せた鬼気迫るライディングと同様に、この日のピロもまるで何かが乗り移ったかのような走りだった。2003年南アフリカGPについて書いた当時の拙稿の一部を、ここに引用してみたい。
- 「どれほど言葉を尽くしても、けっして言い表すことのできない何か。虚構の世界では到底なし得ない、事実だからこそ人の心を大きく揺さぶるもの。そんな出来事が、本当に起こることがある。おそらく、人の一生を通じても、そう何度もあるような体験ではないだろう。それほど大きなものを我々に与えてくれたのは、セテ・ジベルナウとファウスト・グレシーニ氏であり、ロードレースそのものであり、そしてもっと言えば、これこそが加藤大治郎が我々に遺していった最高の贈り物にほかならない」
この文章のセテ・ジベルナウをミケーレ・ピロに、加藤大治郎をマルコ・シモンチェッリに読み替えれば、それがおそらくこの日のイタリアの人々の真情を表すことになるのではないだろうか。
続くMotoGPクラスの決勝は、不安定なコンディションに翻弄される波瀾のレース展開。序盤に大きなリードを築いたはずのケーシー・ストーナー(レプソル・ホンダ)が雨でペースを落とした終盤にベン・スピース(ヤマハ・ファクトリー)にオーバーテイクを許してしまうものの、最終ラップ最終コーナー立ち上がりからゴールラインまでの加速で再度逆転。ストーナーとホンダにしてみれば乾坤一擲の勝負を制して狂喜乱舞、といったところだろうが、0.015秒の僅差で敗れてしまったスピースとヤマハにとっては、捲土重来を胸に誓いつつ切歯扼腕、ってなところなのではないだろうか。
また、このレースでは、負傷欠場したホルヘ・ロレンソ(ヤマハ・ファクトリー)の代役で参戦した日本人選手の中須賀克行が6位に入る健闘を見せたことは記録しておいてもいいだろう。
- 「(雨でペースが落ちてきた)最後の5〜6周は前の選手が少しずつ近づいてきて、後ろからも近づかれていてたんだけど、自分は失うものが何もないので、『行っちゃえ!』と思って行ったら、結果的に他の選手よりもタイムが落ちなかった。レース前にはホルヘ選手もグリッドまで応援に来てくれて、おかげでリラックスしてレースに臨めました。6位のリザルトにはチームの人たちもとても喜んでくれて、少しは恩返しができたかなと思います」
ホッとした表情でそう語った中須賀は、落ち着くまもなくレース翌日に世界耐久選手権最終戦のカタール目指して出発した。
- 「MotoGP(セパン)−全日本(鈴鹿)−MotoGP(バレンシア)−耐久(カタール)と、今までのライダー人生で経験しなかったくらい忙しい四連戦だけど、思いきり楽しんできたいと思います」
笑顔で話す口ぶりに、話を聞いているこちらも何か救われた思いがしてくるから不思議なものだ。
それにしても、2011年のMotoGPは、東日本大震災という未曾有の大惨事とシーズン初戦が重なる数奇な幕開けを皮切りに、日本GP参戦忌避問題が秋までくすぶり続け、終盤戦には選手の死亡事故という悲劇まで発生して、多くの人々の思いが木の葉のように翻弄され続ける一年だった。しかし、そういったあれやこれやの哀しく苦しい出来事は、選手たちの気迫の籠もった走りによって、すべてが希望と明るさへ止揚され昇華されていったように思う。
というわけで2011年の戦いは終了し、この原稿を書いてる最終戦翌々日のバレンシアサーキットでは、2012年に向けたテストがすでに始まっている。レギュレーションが大幅に変更される来年の動向に関しては、近日中にお伝えするとして、まずはシーズンがひとまず一段落したことで、ちょこっと休憩をばさせていただくことにいたします。ではまた近々。