裏庭の徒然草


 MCJC(二輪車にかかわるジャーナリスト有志一同:青木淳/打田稔/近藤健二/内藤忍/埜邑博道)が「東日本大震災の被災者支援募金のお願い」として二輪専門誌に提案した「二輪車ライダー排気量募金」。本誌をはじめ、これに賛同した二輪専門誌は38誌(2011年5月下旬現在)に達した。その詳細は本誌にもある当該ページを見ていただきたいのだが、基本的には自分のバイクの排気量(250cc以下は最低金額250円とする)を金額に換算して募金しようという二輪ライダーへの呼びかけだ。

 ちなみに5月14日現在、「寄附いただいた後のメール送信」に応じていただいた方だけでも779件、金額にして518万6876円になっている。

 そしてその送信に「メッセージ」も書き込んでいただいた。それらのメールは賛同した媒体さんのものであるという認識で、各媒体へ配信されている。

 ほとんどすべてのメールに何らかの「メッセージ」が書き込まれていたのだが、物理的な事情で本当に申し訳ないが、募金を開始した3月15日から5月13日までのメッセージ、約780通から約247通を私、当コラム筆者の近藤が抜粋させていただいて、このコラムの「別冊付録」として掲載した。抜粋の基準などはその「別冊・排気量募金メッセージ集抜粋」をご覧になっていただきたい。ただし、次ページからの「別冊」に記載されなかった通信=募金=メッセージも原文原稿としてはキチンと保管され、記憶・記録されていることはご承知いただきたい。

 その中で、メッセージの数と同じ数の内容と個性が存在するのだが、強いてメッセージを大きく集約すれば以下のようになる。

●これだけの災害から立ち直るには時間がかかるのは当たり前。継続こそ力。何度でも寄付を繰り返す、繰り返そう。

●被災地はツーリングで大変お世話になった地域。美しい景色・旨い(酒)食べ物に増して、情あふれ暖かい地元の人々との触れ合いが忘れられない。迎え受け入れていただける態勢が整ったら必ず、ツーリングで(再びも含めて)行く。この夏にも…可能なら。

●ライダー、バイク乗り、人間として、今立ち上がらなくてどうするんだ!

●自分もかつて被災者となった辛い体験を持つ。その時に受けた支援がいかに立ち直るための力となってくれたことか。今度は自分が支援する番だ。

●大きな被害を見聞きして「自分でも何かしたい」と思ったが、具体的な行動が思い立たなかった。ライダーとしての排気量募金が、そのきっかけを作ってくれた。金額の多少ではなく、排気量分から始める。それが正直「きっかけ」となり募金行動の後押しとなった。

 実は「ライダーだからこそできる支援のきっかけを作りたい」という思いが提案者にはあった。それだけにこの最後に挙げた“反応”は提案者側のひとりとしても正直うれしい。開始された時期に以下の書き込みも寄せられていたのだ。

 「排気量にあわせた募金???何を考えてるんだ! この企画者・・・アホじゃないか?? そして賛同してるバイク雑誌各社も頭おかしいんじゃないの?? 募金は、シャレや遊び感覚でやるもんじゃないよ。本気で被災者を考えてないから、こんな遊び感覚の募金が始まる。私は、ここには絶対に募金しない!」

 まあ、遊び感覚で自分の金を使って募金行動をする人がいるとは思えないし、ならば排気量募金でないところで募金すればいいことなのだが。

 現在に至るまで、800通を超えるメッセージの中で、こういう内容の“意見”は、ただ1通のみ。しかしそれも、募金への「いいきっかけとなった」という皆さんの圧倒的な数と内容のメッセージが、この記名なし“意見”に対してへの回答を導き出してくれている、と感じ入っている。

 今の日本、そして日本人。

 ――さまざまな幻想をはぎとられ、断崖の端に立つ自分の真の姿を発見することができた時、人間は結局「理知的に」ふるまうことを覚えるだろう――(小松左京著・『復活の日』あとがき)

 そのとおり。皆さんこの排気量募金を含めて「理知的に」ふるまっていただいている。

私の少ない読書歴の大半は娯楽モノが占める。今回本棚から取り出した『復活の日』(日本SFシリーズ1:早川書房・1964年)もSFだ。しかし先日亡くなった俳優/読書家/書評家の児玉清さんは「侮ることなかれ。エンターテイメントには、人生へのあらゆる示唆が込められているんです」と語っていたという(5月27日付け読売新聞)。我が意を得た。

 ちなみに小松左京さんの『復活の日』(1964年著)は、日本のSFのレベルを引き上げた作品として高く評価され、この作品で地震のことを調べたことが、後に同氏の作品『日本沈没』を生んだとされている。生物兵器研究の過程で出来た猛毒の新型ウイルスが全世界に蔓延→人類を含む脊椎動物のほとんどが絶滅→アラスカで巨大地震発生→制御する人間を失っていた米ソのARS(自動報復装置)が起動、全世界に核爆弾/中性子爆弾搭載のミサイルが発射される→わずかに生き残った人類は?…というもの。

 ここから今を考えるとき、特に印象的な部分を本文から、さらに引用したい。

 ――人は、のどもとすぎれば、たやすく熱さを忘れる。この認識は、あとの続く困難な数世代にはうけつがれるかも知れない。だが、小康の世代がくれば、またたやすく忘れられるであろう。(中略)しかし、人間は子孫に追憶を教えることができ、記憶をつたえることができる。(中略)認識を生きたものとして教えて行けるだろう。ぜひ、そうしなければならないのだ。子孫がふたたび繁栄と俗事におぼれ、人類を失って得た教訓を見失い、再び同じ愚をくりかえさないために――。

 現体験、今の感情、その記憶の継承がいかに大切か。それは津波に何度も襲われた地域に立つ「これより高いところに家を建てろ」の石碑と同じく。

 皆さんが続けている募金は間違いなく、今在る記憶を未来へ伝える大きなアクションのひとつである、と信じている。

 そして言い古されてはいるが「継続は力」。

 以上が「じじいの放談」。

 次ページ以降「別冊」に掲載されたメッセージ、今記された「記憶」をお読みいただきたい。


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