日本人唯一のマン島TTレース・ウイナー。伊藤光夫、マン島へ還る。

2010年5月29日(土曜日)から6月12日(土曜日)まで、マン島TTレースが行われた。マン島TTレースが始まったのは1907年5月28日だった。だから、今年は104回目の開催となった。

で、 “マン島ウイーク”と普通は呼ばれ、何となく“1週間”のイベントと思ってしまうが、実は2週間なのだね。正確には15日間か……。でも、5月30日の日曜日には正式イベントはなんにもないから14日間で、こりゃやっぱり2週間と言うべきか……(と、プチ情報を入れてみた)。

今年2010年は、スズキが世界GP参戦50周年でもあるのだ。1960年、スズキは世界選手権ロードレースに初挑戦。日本人ライダーは、伊藤光夫、市野三千雄、松本聡男の三人だった。マシンはRT60(125cc)。伊藤さんは公式練習中に転倒し、レースには出られなかった。ちなみに、RT60のテストは、浜松市を通る国道1号線の長い直線や、ホンダの荒川テストコースを借りて行ったという(と、プチ知識を入れてみた)。

1962年、マン島TTレース125ccクラスでスズキは初優勝。ライダーはデグナー、マシンはRM62であった。

そして、1963年。スズキにとって、いやニッポン人にとっても嬉しい結果がもたらされた。伊藤光夫さんが、50ccクラスで初優勝したのだった(マシンはRM63)。レースは3周で行われた(前年まで2周だった)。スタート直後からデグナーと伊藤光夫の、スズキ勢同士の争い。2周を終わってデグナーと伊藤光夫の差はわずか3秒だったという。3周目、デグナーがマシントラブルでリタイヤ。伊藤光夫が優勝、2位にもスズキのアンダーソンが入った。

この年、スズキは、50cc、125ccの両クラスでメーカーと個人の世界タイトルを獲得したのだった。

伊藤光夫さんは、マン島で優勝した唯一のニッポン人なのだ。

2010年6月7日、伊藤光夫さんがマン島に還ってきた。

この日、コースではスーパースポーツTT1と、スーパーストックTTが行われていた。伊藤さんは、コースサイドでレースを楽しんでいたという。

6月8日。マン島TTレースの主催者も粋なことをする。マンクスミュージアムで、“スズキ参戦50周年記念特別展示”が行われていたのだが、そこで盛大なセレモニーを催したのだ。ジェフ・デュークさんと伊藤光夫さんが盛大な拍手に迎えられ登場。

偉大なライダーには、最大のもてなしをする。それがマン島の当たり前、なのである。それは、1907年から、変らない。

1963年。表彰台の一番高いところに伊藤光夫が上がった。世界選手権ロードレース50ccクラスで優勝。マシンはスズキRM63。
1963年。表彰台の一番高いところに伊藤光夫が上がった。世界選手権ロードレース50ccクラスで優勝。マシンはスズキRM63。
1962年、マン島TTの表彰式。中央がチャンピオンのデグナー、向かって右隣が現・スズキ社長の鈴木修氏、そして若き日の伊藤光夫さんだ。
1962年、マン島TTの表彰式。中央がチャンピオンのデグナー、向かって右隣が現・スズキ社長の鈴木修氏、そして若き日の伊藤光夫さんだ。
マシンをテストするスズキのワークスライダー。真ん中が伊藤さん。当時のテストは、一般公道でしかも早朝にやることもあったという。
マシンをテストするスズキのワークスライダー。真ん中が伊藤さん。当時のテストは、一般公道でしかも早朝にやることもあったという。
マンクス・ミュージアムではスズキの世界GP参戦50周年を記念した特別展示が行われた。1963年、伊藤光夫さんが優勝してから、日本人はだれもウイナーになっていない。
マンクス・ミュージアムではスズキの世界GP参戦50周年を記念した特別展示が行われた。1963年、伊藤光夫さんが優勝してから、日本人はだれもウイナーになっていない。
1967年、ステュアート・グラハムは、50cc、125ccクラスともランキング3位だった。
1967年、ステュアート・グラハムは、50cc、125ccクラスともランキング3位だった。
セレモニーに招かれた伊藤光夫さんと、ジェフ・デュークさん。今年87歳になるジェフさんは、イギリスのモーターサイクルレースにおけるスーパースターだ。1959年に引退するまで数多くの記録を作った。そして、ワンピース・タイプのレザースーツを初めて着たライダーとしても有名だ。1960年に来日し、日本のモーターサイクルレースに大きな影響を与えた人物である。
セレモニーに招かれた伊藤光夫さんと、ジェフ・デュークさん。今年87歳になるジェフさんは、イギリスのモーターサイクルレースにおけるスーパースターだ。1959年に引退するまで数多くの記録を作った。そして、ワンピース・タイプのレザースーツを初めて着たライダーとしても有名だ。1960年に来日し、日本のモーターサイクルレースに大きな影響を与えた人物である。
ジャンピングで有名なバラフ・ブリッジ。
ジャンピングで有名なバラフ・ブリッジ。
CREG-NY-BAA前のコーナー。「クレグナーバー」と読むのが正しいらしい。バルコニーからレースが楽しめる。ちなみに、レースウイーク中のランチの料金は180ポンドで、なんと3万円に近い。
CREG-NY-BAA前のコーナー。「クレグナーバー」と読むのが正しいらしい。バルコニーからレースが楽しめる。ちなみに、レースウイーク中のランチの料金は180ポンドで、なんと3万円に近い。
ジャンプの後の右コーナー。パブ・レストラン“THE RAVEN”の前を抜けていく。
ジャンプの後の右コーナー。パブ・レストラン“THE RAVEN”の前を抜けていく。
2000年のマン島TTで亡くなったジョイ・ダンロップのメモリアル。“キング・オブ・マウンテン”と呼ばれ、26回の優勝を記録している。この数字は、もちろん世界一だ。ちなみに第2位は、14回優勝のマイク・ヘイルウッドである。
2000年のマン島TTで亡くなったジョイ・ダンロップのメモリアル。“キング・オブ・マウンテン”と呼ばれ、26回の優勝を記録している。この数字は、もちろん世界一だ。ちなみに第2位は、14回優勝のマイク・ヘイルウッドである。
コースを歩いていると、多くのファンに声をかけられる。このオフィシャルは、「去年はホンダの谷口尚己さんと撮ったんだ」と、その写真を見せてくれた。
コースを歩いていると、多くのファンに声をかけられる。このオフィシャルは、「去年はホンダの谷口尚己さんと撮ったんだ」と、その写真を見せてくれた。
夕食会には、カピロッシなど、スズキのレース関係者もやってきた。
夕食会には、カピロッシなど、スズキのレース関係者もやってきた。
今回は、「マン島TT観戦ツアー」に伊藤光夫さんも同行したのだ(主催は道祖神 http://www.dososhin.com/ )。そしてスズキ・イギリスが、盛大な夕食会を開催してくれた。参加者全員が招待された。右端は、元レーサーであり、『百年のマン島』(三栄書房刊/1890円)の著者である大久保力さん。
今回は、「マン島TT観戦ツアー」に伊藤光夫さんも同行したのだ(主催は道祖神 http://www.dososhin.com/ )。そしてスズキ・イギリスが、盛大な夕食会を開催してくれた。参加者全員が招待された。右端は、元レーサーであり、『百年のマン島』(三栄書房刊/1890円)の著者である大久保力さん。
プレゼント!マン島TTレース参戦スズキ50周年記念硬貨
プレゼント!
マン島TTレース参戦スズキ50周年記念硬貨
スズキの世界GP参戦50周年を記念した50ペンスの記念硬貨が発行された。表にはスズキの50ccマシンRM63を駆る伊藤光夫が、裏にはエリザベス女王が描かれている。1枚目のコインは、伊藤光夫さんに贈られたという。このコインを3名様にプレゼント。ご希望の方は、dd4@mr-bike.jp (読者登録が必要です)にご応募ください。住所、氏名もお忘れなく! ご意見、ご希望もお願いしますね。8月5日締切。