アッキーがキタ
アッキーがキタ
ミュージシャンになるべく夢抱き上京したバカ編 その9
アッキー加藤
アメリカン、チョッパーなどそっち方面が主戦場のフリーライター。愛車の1台は写真の750ニンジャというマニアックな一面も合わせ持ち、アメリカン以外のジャンルもほほいのほい。見かけはご覧のようにとっつきにくそうだが、礼節をわきまえつつ、締切も絶対に守り、かつ大胆に切り込んでいく真摯な取材姿勢で業界内外で信頼が篤い。ここまで書くとかなりウソくさいが、締切うんぬん以外はウソでもない。
アッキー加藤

 ええっと、しばらく横道に話がそれていたが、今回からやっとミュージシャン編復活である。まあ、まさに絶滅危惧種であるトキのごとき少数派の読者様の中にも、そんなコトはとっくに忘れている方も多いだろうが、気の向くままに書きなぐるのがコンセプト(なんだそりゃ?)であるこのコラムなので、そのあたりのいい加減さはご了承いただきたいのである。 

 さて、オレが1991年から伝説の思想派パンクロックバンド『頭脳警察』のローディー(注:機材の調整から買い出しまでの何でも屋)をしていたことは、このコラムを読んでくれていた方ならすでにお分かりのはず。まー、頭脳警察のパンタ氏とは20年以上のおつきあいなのだが、今回はちょっと話が他のミュージシャンに絡む(しかも怖い人)ので、くれぐれもその方にチクることなどないように御願いしたい。

 オレがローディーをしていた当時、同業者の中で怖いミュージシャンといえば、長渕剛、矢沢永吉(この人は意外に優しいという話もアリ)、そしてXジャパン(怖いというよりワガママ? お昼のカレーがまずかったという理由で公演をキャンセルしたという話は本当らしい)、そして! 昨年末は色々と物議を醸し出したあの御方、泣く子も黙るシェキナベイベーの内田裕也氏を忘れてはならない。オレもかなり以前から、「裕也さんは怒るとスゲェ怖い」と聞いていたので、なるべく接触を避けていたのだが、しかしある日、その時が来てしまったのだ!

 つーのも、ちょっとしたことで裕也さんと親交のあるミッキー・カーチス氏の息子さんと仲良くなり、確か1996年くらいに、その人から「来週、裕也さんが映画の撮影でフランスに飛ぶんで成田に行くんだけど、そん時の運転手やってくんないかな」と言われたのがきっかけ。自分としてはかなり悩んだのだが、頼みを断るワケにもいかず、恐る恐る承諾をしたのだ。

 そして当日、オレは1ボックスのレンタカーをチャーターし、赤坂プリンスホテルへと内田裕也氏を迎えにいったのだが、いやもう! ロビーから出てきた段階で、なんかこう恐ろしげなオーラを放っていたので正直そのまま引き返そうと思った(ヘタレ)。しかし、それもマズいのでとりあえず「押忍!」と挨拶。すると彼は「よろしくな」と言ってクルマに乗り込んだ。うう、オレの運転するクルマの後ろには、あの怖いミュージシャンが乗っている、というだけで緊張しっぱなしだったのだが、走り出して30分ほどすると、当時肩くらいまでのロン毛で、頭にバンダナを巻いていたオレを見て裕也氏は「おめぇ、ロックやってんのか?」と一言。しかしオレは考える。相手は長い経歴を持つ古参ミュージシャン、うかつに「はい、バンドやってます」とか言うと「お前みたいな小僧にゃ10年早いんだよ!」とか言って後部座席からケリをくらいそうだったのだが、嘘をついても仕方がない。恐る恐る、オレは言った。

「まだアマチュアっすけど、3年前に名古屋から出てきてバンドやってます」 

 すると! だ。後部座席でゴソゴソと音がしたかと思うと、運転席の方へニョキっと手が出てきた。そこに握られていたのはお札。

「バンドやってると金かかるだろ。今日の礼だ。とっとけ。がんばってロックやれよ」 

 裕也氏がオレに手渡してくれたのは2万。ななななな、なんてカッコ良くていい人なんだ、オレは一生この人についていくぜ、というのは嘘であるが、少なくとも彼は、仁義ってのを通せばちゃんと優しくしてくれる人だということが何となく分かったのである。

 さて、それから話は飛んで5年後。裕也氏は毎年年末の31日夜に「ニューイヤー・ロックフェス」というイベントを開催しているのだが、そこへパンタ氏が出演することになり、オレも彼に同行して会場入りをした。機材を下ろしてステージに組み上げ、パンタ氏のサウンドチェックとリハーサルが終わると、あとはやること何にもなし。本番を待つのみである。

 その時、オレは思った。主催者は内田裕也氏、もちろんステージにも上がるし会場にもいる。5年前に、たった一度運転手として会ったきり、ただのペーペーであるオレごときを覚えてはいないだろう。でも、筋は通さねばならぬ(一応体育会系なので)。つーことでオレは意を決し、楽屋の廊下で立ち話をしていた裕也氏の近くへドキドキしながら近づいてこう言った。

「あのっ!(超緊張)、覚えていらっしゃらないと思いますが、5年くらい前にフランスへ行かれた時、運転手させていただいた者です」

 どんな反応がくるかは、大体想像はついていた。名もないバンドマンのはしくれ、しかも5年前、一日しか一緒にいなかった小僧のことなど誰が覚えていよう。「はあ?」と言われておしまいだと思った時、思いがけない答えが返ってきた。

「おおー! 頭にバンダナ巻いてなかったから分からなかった。髪も伸びたなあ。あん時はありがとうよ」

 正直、オレはむちゃくちゃ感動した。こんなペーペーのオレのことをちゃんと覚えていてくれたのだ。その記憶力も凄いが、やっぱ同じロックを愛する者として共感を得てくれていた、ワケではないだろうが、とにかく彼は、当時のオレをしっかり覚えてくれていたのだ。

 しばし、昔の話や、今は何をやっているのかを和やかに話すオレと裕也氏。この時は緊張もほぐれ、なんとなく彼に親しみを持ち始めていた。だが! その時、廊下の向こうから、我が師匠であるパンタ氏が全速力で走ってきたかと思うと、大きな声でこう言うではないか!!!

「裕也! どうした! ウチのアキがどうかしたのか!? 何かマズいことでもあったか!!?」

 つまり、である。パンタ氏にしてみれば、廊下の向こうで裕也氏とオレが二人で話をしている光景は、まるでオレが絡まれて怒られているように見えたらしいのである。んで、これはイカンと助けに来てくれたのだが、実際は怒られてなどなく、結局、最終的には三人で談笑。うーん、さすがはロック界の仏様と呼ばれるパンタ氏、優しいのである(でもやっぱ怒らせると怖い)。

 ま、ロックミュージシャンはみんなワガママで怖くて優しい。だから自分の歌ってモンを歌えるんだろうね(カレーがまずいからステージをキャンセルするのはどうかと思うが)。


 まだまだ続くぞこの告知。微々たるものの被災地支援を続けさせていただいてるオレから、読者様へのお願い。被災地へ旬の野菜を届けようと動いている「プロジェクト・ビタミン・東北」に、ちょっとでいいから協力してくれると嬉しいです。被災地の一部では治安が悪化し、夜は一人で出歩けない場所もあるとか。まだ震災被害は収まってないんだよ。テレビや新聞なんかは隠してるけどさ。

●Project Vitamin Tohoku

http://project-vitamin-tohoku.blogspot.com


[第17回へ][第18回][第19回へ]
[アッキーがキタバックナンバー目次へ]
[バックナンバー目次へへ]