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衛藤達也

顔写真
1959年大分県生まれ。大分県立上野ヶ丘高校卒業後、上京し日本大学芸術学部写真学科卒業。編集プロダクションの石井事務所に就職し、かけだしカメラマン生活がスタート。主に平凡パンチの2輪記事を撮影。写真修行のため株式会社フォトマスで (コマーシャル専門スタジオ)アシスタントに転職。フリーになり東京エディターズの撮影をメインとしながらコマーシャル撮影を少しずつはじめる(読者の方が知っているコマーシャルはKADOYAさんで佐藤信哉氏が制作されたバトルスーツカタログやゴッドスピードジャケットの雑誌広告です)。12年前に大分県に戻り地味にコマーシャル撮影をメインに活動中。小学校の放送部1年先輩は宮崎美子さんです。全く関係ないですが。
私の恥ずかしい写真 前編

(2011年9月6日更新)

「できるか、おめー」と言われれば

今月も信哉さんとの撮影の裏話です。

あれはYAMAHAからSDRが鮮烈にデビューしたのは1987年の夏でした。

パンチある2スト単気筒エンジンをライトボディに載せた、一人乗りの男らしいバイクでした。でも、意に反し、予想に反し、あんまり売れなかったのは何故?

そのSDRを「ストリート・アタック」のイメージ用に撮影した写真のお話。ミスター・バイク1987年9月号に掲載されました。

ところでこの写真なんですが、私にとってとても恥ずかしい写真なのです。

SDR
1987年7月15日に登場したSDR。これぞライトウエイトスポーツというバイクだったのに……。写真は発売当時の雑誌広告です。

16歳くらいのぴっちぴちの生娘が「私の恥ずかしい写真」というと、一部のマニアを除き激しく興奮するのでしょうが、50過ぎのオッサンの恥ずかしい写真と言っても……じゃないですね。今から25年前の話ですから、30歳の青年の恥ずかしい写真です。まあ、一部マニアな方を除けば、50も30もおっさんの写真には興奮しません。これが50の熟女や30の人妻の恥ずかしい写真ならば話は違って……話を元に戻します。

なにが恥ずかしいかといえば……

表紙
これが「私の恥ずかしい写真」ではありません。今月号で使う写真を物色していたら、今頃になって発掘された「男らしい写真(前号参照)」の別カットです。この角度から見るとウイリーしているのがよく解るでしょ。
表紙
1987年9月号の巻頭特集は鈴鹿8耐。「今年の8耐はパッとしないニュース、予想で幕を開けた」なんてと今から思えばとんでもないリードが書かれていたりする。パッとしなくても巻頭カラー。当時の8耐はそれほど人気があった証。

多分当時後幕シンクロのできるカメラはCanon T90くらいではなかったかと思います。クリップオンストロボも良いものがなかった時代です。この頃私が使っていたカメラは、Canon New F-1でした。5月にEos650/620が発売されたばかりで、オートフォーカスもまだまだこれからという時代。当然、カメラはマニュアルフォーカスが当たり前でした(もちろんデジタルではなく銀塩=フィルムです)。

機材の話はさておき、いつもの様に「次号の打ち合わせするから来なさい」と大田区南雪谷にあった庭付き豪邸の編集部に呼び出されました。

会議室に使っていた食堂で近藤編集長と信哉さんに囲まれ、

近藤編集長:『SDRのコンセプトにあったすげーかっこいい写真が撮りたいのだ。ストリートアタック のイメージ写真をな』

信哉さん:『例えば、俺様が空をジャンプしたその下に街の夜景がキラキラ光っている写真にしたいのだが。できるか、おめー』

「はっ、はい、はい」と、いつものごとくパブロフの犬状態でふたつ返事(=2回返事をするという意味)をしてしまいました。

編集部
大田区南雪谷にあった編集部。ミスター・バイク、ゴーグル、ミスター・バイクBGの3編集部がまるごと入る庭付き木造2階建ての豪邸でした。遊びに来た読者さんもたくさんいて、中には泊まっていく強者もいました。

信哉さん:『例えば,俺様ジャンプと都会の夜景を一発撮り出来るか?』

さすがにそれは即刻「無理です!」と返しました。そこからが信哉さんの本領発揮です。

『じゃあ、どうすれば出来る?』

「とりあえず、ジャンプシーンと夜景は切り離して考えてください。信哉さんは動いている。夜景は止まっている。同時に一発で撮ろうとすればどちらかが犠牲になります。だからバイクは黒いバックで撮影して切り抜いて、別に撮影した夜景と合成する。これなら出来ます」

『黒バックどーすんだ?』

「夜空をバックにしてSDRを撮ればいいんじゃないですか?」

『でだ、夜景は、どーすんだ?』

「そうですね、出来るだけ高いところから撮らないと夜空を飛んでいるようには見えませんよね」

『よし、解った。ジャンプするところは俺様 が見つけてくる、めぼしいところがある』

翌日、すぐ信哉さんから電話がかかってきました。夜行った方が解りやすいだろうからと、夕方編集部に集合してロケハンへ。

いつものように川崎某所の山の中にある秘密の“俺様の土地”(※信哉さん曰くの「俺様の土地」で、登記簿上の所有権がどうなっているかまでは私の知るところではありません)に連れて行かれました。

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