おやびん道

それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか。

第26回(番外編)

閉ざされた道
(福島第二原発周辺の道)


今回は少し趣旨を変えて書いてみたいと思う。8月末日から9月3日にかけて遅ればせながら夏のツーリングに出かけた。
この10年ほどは息子や知人と2、3人で出かけていたが今年は都合が合わず、久々に一人での夏旅だった。
当初から行く先は東北地方と決めていた。
北茨城から福島の海岸線=南相馬・相馬以北を通り、すでに1年半経過しているが、地震や津波、原発爆発の被災地はその後どうなっているのか、自分の目で確かめたかったからだ。

福島MAP

 初日は北茨城の平潟港の民宿に泊まった。平潟も津波の被害を受けた漁港だ。女将さんも「ウチなど高台にある家は大丈夫だったけど、海抜が低いところの数軒は流されてね…」。

 2日目、8時前に出発。R6を北上し、いわきの先で県道35号線、34号線とつないで、南相馬~相馬の海岸線に出、津波の被害に遭った街や集落、道路などの様子を見るつもりだった。予想通り気温は上がり、午前中に30度を超えた。R6はそれなりの交通量だったが、県道35号に入ると激減した。海岸線から数キロの内陸部をR6とほぼ並行するように走るこの県道は格好のワインディング、のような道だ。

 走っているうちに、確か、10数年前に7、8人のバイク仲間と走ったことがあるな、と思い出しながら快調に前進していたが、そのうち地震の被害で道路の片側がパイロンで仕切られている箇所がいくつも出てきた。補修に手が回らないのだろう。そのまま福島第二原発のある楢葉町から富岡町へと進んでいくと、全面通行止め、の看板とゲートに突き当たった。この先は放射能汚染が強い警戒・避難区域になるからだ。仕方なくう回路を探すことに。それにしても、道を確認するために聞こうとしても人がいない。車も滅多に通らない…。

 道路には通行規制あり、の看板が時折見られたが、通行止めとは書いてなかったので、太陽の位置で方角を予想しつつ、こっちかな、と数本の道を奥に進んだりした。が、結局はその先でゲートが設けられ、通行止めになっていた。時折目にする民家も、人が住んでいる気配がない。そのあたりに住んでいた人たちも避難して、ではなく避難させられているのだ。そんなこんなで何度も迷いながらR6号に突き当たると、機動隊のバスが見え、道路には警察官が数人。指示に従って停車すると、許可証がないとここから先へは(楢葉町内の北部)行けないという。避難者の一時帰宅が行われていたようだ。

 俺は警官(彼の制服には大阪府警の文字。まだ他府県から応援隊が現地に出張って働いているのだった)に「相馬のほうに行きたいんですが、う回路はありますか」。すると「常磐自動車道のIC近くまで戻って、国道399号を使えば行けると思います」という。戻る形でR6を南下した。道の駅「ならは」で道を確認しようと思い、入ろうとすると、蛍光ジャケットを着た多くの人が道に出ていて、誘導している。入ってみると、駐車場の手前で係りの人に「一時帰宅者の人たちのために使用しているので一般の方は入れません」と言われた。

 地図を出して確認できぬまま、警官に言われたように広野ICまで行ってみたがR399は見つからず、料金所の手前にバイクを止めて、係りの人を捕まえ事情を話すと、親切に教えてくれた。教えられたとおり、常磐道に入って(常磐道は広野から北は通行止めだが、南方はOK)ひとつ先のいわき四倉ICまで。そこから県道をしばらく走り、ようやくR399に。じつは当初の予定ではいわきからR399で南相馬付近まで行くつもりだった。が、平潟港の宿で地図を広げて、R6は通れないだろうが内陸の県道35号なら大丈夫だろうと思って北上し件の結果になったのだった。事前にもっと調べておくべきだったのか…。

 R399に入って先に進むと雲が多くなり、行く先の山の上にも濃い灰色の雲が垂れている。大丈夫かなあ…と心配しながら走って行く。R399沿いの村や集落にも人気がない。通行人はなく、走る車がほとんどないのも同じだ。時折すれ違う車は一時帰宅の人たちか。留守宅を狙う窃盗犯罪者に対して、パトロールを強化して監視している、という内容の看板も路傍に立てられている。火事場泥棒が少なくないのだ。実際、巡回するパトカーも多かった。

 入口にロープや長い鉄パイプを張った家が目につく。川内村も葛尾村も俺が通った場所は居住制限区域だったようでゴーストタウン化していた。ほぼ全域で居住制限が実施されている飯館村は悲しかった。切ない気持ちになった。人気の絶えた集落や街並みを見ているうちに憤りを覚えた。東電も政府も、ここに住んでいた人達のことを考えているのか。政権争いをする前にこの甚大な原発被害を受けた地域のことをもっと真剣に考え、最善策を見出して一日も早く対処すべきではないのか。東電も保身のための値上げをする前に、この地域の人達の生活を鑑み、きちんとした対応をすべきである。上級職員、特に幹部はこの現状を自分の目で見、肌で感じなければならない、と思う。


初日、平潟港に隣接する五浦海岸に立ち寄ってみた。震災の津波で流失した岡倉天心ゆかりの六角堂が再建されていた。
初日、平潟港に隣接する五浦海岸に立ち寄ってみた。震災の津波で流失した岡倉天心ゆかりの六角堂が再建されていた。

県道35号を楢葉町から富岡町へと進んでいったが、御覧の通りの通行止めに。その後、通れる道はないかと細い道を右往左往。
県道35号を楢葉町から富岡町へと進んでいったが、御覧の通りの通行止めに。その後、通れる道はないかと細い道を右往左往。

常磐道のICを目指してR6を南下中、楢葉町内のある交差点で、警官?警備員?が立っていた(関係者以外の左折を制限)。遠くの高い煙突2本は双葉郡広野町にある広野火力発電所のそれだ。同発電所は福島第二原発の10km圏内にある。
常磐道のICを目指してR6を南下中、楢葉町内のある交差点で、警官? 警備員? が立っていた(関係者以外の左折を制限)。遠くの高い煙突2本は双葉郡広野町にある広野火力発電所のそれだ。同発電所は福島第二原発の10km圏内にある。

R399の途中にもこんな看板が。撮り方が悪く陽光が反射して読みにくいが「この先、帰還困難地域につき、通行制限中」とある。
R399の途中にもこんな看板が。撮り方が悪く陽光が反射して読みにくいが「この先、帰還困難地域につき、通行制限中」とある。

飯館村はほぼ全域にわたって放射能汚染濃度が高く、通行止めになっている道も多い。
飯館村はほぼ全域にわたって放射能汚染濃度が高く、通行止めになっている道も多い。

川俣町に入ってちょっと道を間違え、学校の敷地近くまで入り込んでしまったが、そこにはこのとおり「緊急除染業務実施中」の看板が。
川俣町に入ってちょっと道を間違え、学校の敷地近くまで入り込んでしまったが、そこにはこのとおり「緊急除染業務実施中」の看板が。

飯館村北部の小さな街並みも御覧の通り。車は時折通り過ぎるが人は避難して住んでいない。当然、商店などは閉店したままだ。 飯館村北部の小さな街並みも御覧の通り。車は時折通り過ぎるが人は避難して住んでいない。当然、商店などは閉店したままだ。

これも飯館村内だったと思う。集落は無人化していて、赤い屋根の牛舎か豚舎も空っぽ。周囲の草も伸び放題だった。
これも飯館村内だったと思う。集落は無人化していて、赤い屋根の牛舎か豚舎も空っぽ。周囲の草も伸び放題だった。

 津波で家族や家、職を失った人たちは言うまでもないが、故郷は、家は存在するのにそこから避難しなければならず、慣れない生活を強いられている人たちの苦悩もまた重い。原発事故から1年半も経っているのに…。放射能の脅威からいつになったら解放されるのか、帰宅できるのか。
 家は空き家になると急速に傷む。田畑も人が手をかけていなければ荒廃する。閉ざされた道、そして広い範囲に及ぶ汚染された地域…。いまだ原発被害がまったく収束せずに続いている町や村を目の当たりにして、胸が痛んで予定していた南相馬・相馬以北を回る気持ちになれず、伊達市に向かった。 



野口眞一

野口眞一
1956年、7月生まれ。バイクに乗って40数年、バイク雑誌関係の仕事に就いて30数年。若い頃からバイクの旅が好きで、日本各地を走り回ってきた。所有するバイクは今となっては滅多に見ないトライアンフのサンダーバード(1996年型の水冷並列3気筒)で、15年乗り続けている。長く乗っている割には走行距離は少なめで6万5000km。

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