バイクの英語

第38回「A Pinch of Salt
(ア・ピンチ・オブ・ソルト)」

 どうも人の話が信用できない。
「普通は」なんて言われると拒否反応を感じる。
 これはインターネット時代になった最近ますます感じているのか、単純に自分が歳を取ってきて知識が増えたから人の話を鵜呑みにしなくなったのか、それとも不穏な世の中のせいで疑心暗鬼になっているのかわからないけれど、この症状はますます進行中に感じています。
 というのも、まるで自分の体験談のように物事を語る人が多くて、ところが突っ込んで聞くと「SNSで読んだ」とか「2ちゃんで話題になってる」とかそういった程度の情報源だったりすることが多いのですよ。それだったら最初から「ネットで読んだだけなんだけどさ、」と切り出してくれれば最初から話半分で聞くのに……。しかもそういう人に限って「ほんとかぁ?」とさらなる詳しい質問をすると、答えられないのに怒り出したりするからタチが悪い。特にバイクに関しては整備の話でこういう事態になりやすいと思います。「○○は□□の立てつけが悪くって、△△って店でワンオフ加工してもらうしかないんだよねー」なんて、とっても詳しそうに話してるのに、よくよく聞いてみたら○○ってバイクを所有してたこともなければ□□って場所を整備したこともなければ△△ってお店に行ったこともなかったりする。いやはや、よくその口調で言ったね、って感心してしまいます。そのうちそういう人に耐性ができて「あぁこういう人ね」となっちゃって、たとえ本当の経験談でも最初から話半分で聞いちゃうから失礼この上ない。

 もっと厄介なのが「普通は」。これは困る! 「普通は空冷車に憧れるものだ」とか「普通は高速道路を80キロで巡航するもの」とか「大型バイクはリッター15キロぐらいしか走らなくて普通」とか。この「普通だよ」の裏には「それが常識なんだから疑ってかかるだけ無意味だ」「これが受け入れられないならあなたは普通じゃない(非常識)」という雰囲気が潜んでる気がして(潜んでないのかもしれないけど)、おおよそこういった普通と呼ばれるものに当てはまらない筆者は疎外感を感じちゃうことが多いのです。
「普通は~」と言うときは、「私が今から言うことは大多数の意見だからね」という前置きなわけだ。でも9割がた、別段なんのデータもなく自分の肌感覚だけで言ってるから本当はそれが普通かどうかはわからないでしょ? そもそも個人個人を取り巻く環境によって「普通」の感覚は異なるでしょう。……だからついつい、こういう人の話も話半分で聞くことになっていってしまうのです。
 さっきのと同じで、「普通は~」で話し始めずに「僕の肌感覚では~」とか「僕はこういうのが一般的だと思うのだけど~」で話し始めればかなり印象が違うと思うし、話している相手に対して会話がより開かれているように思います。「普通は〜」から始まる発言は多数を自分の側に引き込もうとする意図が、そしてほかの誰かの意見を打ち消す「普通は〜」の返しはその人を異端視する気持ちが隠れている言葉に思うし、また「普通論」を出した時点で議論は急速に終わりに向かうと思うのだけど、いかがでしょうか。
 バイクに乗り始めたのは水冷の時代、高速道路は気持ちのいいペースで走りたく、バイクは排気量に関わらず最低でもリッター20キロ走らなきゃイヤな筆者は、異端者なのだろか。筆者の意見が多数の意見かどうかはともかくとして、「普通」という言葉に埋もれる正論は多いでしょう。

 
 今月のバイクの英語は A Pinch of Salt。Pinchとはつまむ、もしくはつねることで、Saltは塩。直訳すれば「塩を一つまみ」。日本でも「敵に塩を送る」とか「塩を撒いておけ!」とか「傷口に塩」とか塩に関する言い回しは多いけれど、やはり塩にまつわる事柄が言語に関わってくるのは英語でも同じです。生活に必要なものだから浸透したんでしょうね。
 使い方としては「Take what he says with a Pinch of Salt」といったもの。「彼が言うことは塩ひとつまみで聞いておけ」ということ。この語源には諸説ありますが有力なのを一つ。

※    ※    ※

 イギリスの料理はマズいと評判だ。イギリス系の筆者は決して認めたくないが、どうやら世界の共通認識として、イギリスの料理はマズいとされるのが「普通」なようだ。もちろん、イギリスで生活している身としては様々なおいしい料理を知っているだけにこれに異を唱えたいのだが、……そんなことしたら異端視されてしまう。
 しかし、認めざるを得ない部分があるのも事実だ。パブなどで外食すれば様々なおいしいものが食べられる(と筆者は思っている)が、家庭料理は確かに単調な印象がぬぐえない。山積みのマッシュドポテトに冷えた牛肉スライス、完全に茹ですぎの温野菜群。これをワンプレートに載せて、容赦なくグレービーをぶっかける。皿の上ですべての色彩感覚を捨てて一つのドロドロとした茶色い物体となったそれは、味付けらしい味付けがなされていないため、テーブルに備え付けられている塩コショウを自分の好みの味になるまで振りかけていくしかない。といっても加えられる味は塩とコショウの2パターンしかないのだから、最終的に仕上がる味へのバリエーションは大変少ない。

 
 これは確かにひどい。これだったらパンとサラダだけの方がまだマシだろう。イギリスの主婦たちは「野菜はオリーブオイルなんかで炒めちゃダメ。お湯で茹でるだけで味が引き出されるんだから」と言うけれど、引き出されてしまった味は茹でたお湯と共に下水に流れるばかりで、茹ですぎた野菜はすっかり味を抜かれた、塩を摂取するための媒体に成り下がっているという悲しい現状がそこかしこで見られる。
 そんな悲しい野菜たち。これはすでに野菜とは呼べないだろう。かろうじて原型をとどめているだけで、口に入れたらそれがブロッコリー「だった」ものか、ニンジン「だった」ものかの判別は難しいことも珍しくない。これに加えて食感という概念も捨ててしまっているため、結局はマッシュドポテトと共に皿の上でマッシュされてしまいグレービーの海に沈むという、なんともかわいそうな運命なのである。

 
 この、味も食感も捨てた野菜。これこそ、塩がなければなかなか食べられないイギリスの名物料理と言えよう。なんとも「中身のない」この野菜の残骸こそが、Pinch of Salt がなければ食べられないのである。

※    ※    ※

 いかがですか? 語源、というわけでもありませんでしたが、「塩をかけなければ食べられないような、全く中身のないもの」の筆頭がこれらイギリスの台所で虐待されている野菜たちなのです。これにちなんで、中身のない人や中身のない話は「Pinch of Salt」をもって対応しなければいけない、という言い回しが確立されたとされています。
 もっともらしい中身のない話をする人や、根拠のない「普通」を語る人は、受け取った側がその話を自分なりに味付けして飲み込まなきゃいけないということですね。ま、もしくはマッシュドポテトと一緒にぐちゃぐちゃにしてグレービーをぶっかけて聞かなかったことにするか。そこら辺は聞き手の大人ぶりが問われるのでしょうけれど。


筆者 
ビル・フィアソン

 英国在住。日本で25年ほど暮らしたが、年齢と共に愛車SRのキックスタートが煩わしくなり、「SRにセルがつくまで帰国する」と英国に帰った。「普通」に反抗し、英国製旧車にセルスターターを装着する技術を確立。自分のようにキックが辛くなったクラシック愛好高齢者に感謝される毎日を送る。
「今思えば、セル付のCB400SSに乗り換えても良かったな。え? 絶版になっちゃったの??」
納豆と豆腐が好物。マッシュドポテトには醤油をかける。


香草入りの塩
こんな食生活のため「せめて塩にはこだわろう」とビルさん。左はシチリアから取り寄せた香草入りの塩で、イタリアの塩にローズマリー、セージ、ニンニク、黒コショウが入っているもの。右はスペインのアンダルシア地方から取り寄せた塩で、大粒の結晶は甘さが豊富でとても気にいている。

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