さて、この勢いなら二輪の世界が、再び広がりを取り戻せるのでしょうか。街中で毎日目にするバイクライダーの現実は…。
無謀な速度でのすり抜け、反対車線へのはみ出し、自分勝手な俺様走り。クルマだって本来は同じように、人間が操っている乗り物ですから、似たようなものかもしれませんが、クルマは面でしか動けない乗り物です。その動きに運転者の性格、個性まではなかなか表れません。
まあ、クルマだって明らかに殺気立っていたり、意地悪だったり、などの感情がオモテにまで表れてしまっているケースもまま見受けられますがね…。かといってバイクほどにちょこまかすり抜けが出来るわけじゃなし、対向車線に傍若無人にはみ出せるわけじゃない。それこそさまざまな感情を押し込めて、じっと我慢の子、で運転するしかない、ってことですよね。
同じ交通社会を構成する一員でも、そこがバイクとは大きな違い。自分次第で、どうにでも走れてしまうところがバイク。それが素晴らしいところであり、はたまた難しいところでもあります。バイクを自由への翼にするも、凶器にするも、要は操る人間次第です。
多かれ少なかれ、今も昔もバイクと言えば厄介者扱いされることの多い乗り物。自己中人間がライダーの十人に一人でも存在すれば、もうそれだけでバイク全体が「社会の迷惑」の烙印が押されることになる。実際、朝の通勤時間帯などを見れば十人に一人どころか、迷惑ライダーのオンパレード。一般の歩行者やドライバーの目から見ればバイクライダーのイメージは“セコイ”“ダサイ”“五月蠅い”“危ない”。
せっかく若い方々の関心がバイクに戻ってこようとしているのに、こんな現状でいいのでしょうか。バイク乗りの仲間入りしても、早晩バイクに幻滅を感じてしまいませんか。そしてもうひとつ。とんでもない問題が横たわっている。
バイクに乗ろうと思った。免許取った。念願の愛車を買った。さあ、バイクで出かけよう。
でも、出かけたはいいが、街中なんかに駐めるところはない。途中で本を買ったり、お気に入りのウェアを品定めしたり、お茶を飲むことも出来ない。結局駐めるところがないからグルッと回るだけで帰ってきた。
さあまた出かけよう、と思えます?
観光地にツーリングに行けばいい。峠に走りに行けばいい。ファミレスにたむろすればいい。それだけでいいんですか、バイクって。これからバイクに乗ろうと思って入ってくる若い人達にそんな思いをさせてしまって。
バイクライダーだって、きちんと自動車税だなんだと納税義務をきちんと果たしてきた交通社会の一員なのに、ある日突然、一方的に駐車環境の全てを奪われても、なんら行動を起こすわけじゃなく泣き寝入りしてしまった我々ライダー。バイクに乗っている人間として、バイクの真っ当な権利を主張することなく。本来なら暴動が起きても然るべきほどの行政の暴挙、だったというのに。
駐車監視員に取り締まられても、影でグチグチ言っているだけで何一つ行動せず、逆に取り締まられなさそうなところをこそこそと探して違法駐車を繰り返す。
これからバイクの世界に入って来ようとしている若い方々に、たかが駐車場問題ごときで犯罪者意識を与えてしまうなど、言語道断。
こんな状況で「バイクって楽しいよ!」などと言えるわけがない。すまんな、ダメなバイク乗りで。
(小宮山幸雄)