現地集合、現地解散
ドイツ5日間、200台撮影の旅 その2
朝飯が8000円って!
その頃世の中は、まだまだバブル景気が続いていたから、今とは違って地元から依頼された仕事も多く、月に1〜2回は九州まで撮影に行っていた。
フランクフルトに行く前日も九州で撮影があり、福岡空港から羽田に着いてその場で機材を交換して成田までI井さんに送ってもらうという島耕作並のハードスケジュールだった。
颯爽とした島耕作とは180度反対に、成田が近づくごとに死にそうな不安がどんどんふくらんでいく私。
ドナドナ状態で出国する私にI井さんはドイツマルクとタクシー代の小銭がはいった取材費封筒を笑顔で渡して送りだしてくれた。
そして「ダイジョーブだって、そんなに心配しなくていいわけ。エトー。がんばってこいよ。でも……頼むよ、失敗はすんなよ」
この一言で完璧にノックアウト。朦朧としながら14時間ほど飛行機に乗ってフランクフルトへと旅立った。
現地は夜。荷物が出てこなかったらどうしよう……と震えながら荷物は無事受け取り自動ドアを出たらいきなりそこは外。入国審査も税関もない。ちょっと拍子抜けしながら、もらったメモをタクシーの運転手に渡すと、ホテルへ無事到着し、これまた何事も無くスムーズにチェックイン(チェックインといっても小さな机が入口にあるだけだった)。ドングリつきのキーをもらって部屋へ。
ベッドに入るも時差ぼけですぐ目が覚める。朝の4時くらいだった。目を閉じても眠れないので食堂へ。
食事を済ませチェックインした受付のおじさんの所にいき朝飯はいくらかと聞くと8000円だという。
えっ!
前号で紹介したアメリカのTシャツ屋が走馬燈のように浮かんだ。
撃ち殺されるかもしれないので素直に支払う。
しかしいくらなんでも……あっ、と思った時は遅かった。朝飯だけのつもりがチェックアウトしてしまったのだ。
ドイツ語が全く解らないので、今更何も言えない……ケンオーが迎えに来るのは夕方。
大荷物を持ってうろつくことは大変なので、なんとかへたくそ英語を駆使して荷物を預かってもらえた。
あてもなくフランクフルトをさまよえば
チェックアウトしたのは朝8時。まだ約12時間ほどある。まずは高額紙幣をどこかで両替をしなければ。しかしドイツ語は全く読めない。どこに行けば両替してくれるのかわからず、町をうろついて探す。
しかし9時を過ぎてもどの店も開店する気配がない。今日は日曜日。日本と違って日曜日は休みなのだ。
階段を踏み外してねんざはするは犬の糞は踏むの悪戦苦闘の後、やっとマクドナルドを見つけ、ほっとしてホットコーヒーを買ってお金をくずした。
写真を撮っているうちになんとか時間が過ぎたが腹が減った。レストランに入っても字が読めないので、仕方なくまたマクドナルドに戻った。
そうこうしているうち暗くなってきたのでホテルに戻ると途中、きれいなオネーさんが中に座っている窓があった。
変わったショウウインドウだなーと思って見ていると、オネーさんがいなくなる。中には椅子だけのショウウインドウもある。なぜ、こんな物が有るのか全く解らなかった。
後で解ったのだが、娼婦の方々でした。俗にいう飾り窓というらしい。まあ、ドイツ語はわからないのだから、私には全く関係ないが。
待ち合わせの時間にホテルに着き15分ほど待つとケンオーと現地のコーディネートをしてくれる女性(多分マリコさんだったと思う)が現れた。
ほっとして車に乗り、博物館のあるアッシャフェンブルグに向かう。
初めて走るアウトバーン。レンタカーのゴルフは3車線の真ん中を約時速160キロくらいで突っ走る。
降り口の看板を見逃して次の出口で降りる。スピードが速すぎて見逃してしまうからなのか、アウトバーンは一つの町に二つの出口が有るらしい。これもドイツ的合理主義か?
到着後、レストランで初めてのドイツ料理である。メニューを訳してもらう。今日はマリコさんがいるからいいが、明日は2人。頭のキレるケンオーはもう明日の晩メシのことを考えていた。
「いいですか、エトーさん。今日は別々の物をオーダーしましょう。そーすれば明日から楽でしょう」
いつものごとく目の奥では「よーく覚えとけよ。明日もここで食べるんだから今日のメニューの名前忘れんじゃねーぞ。いい大人なんだから」と語っていた(ような気がする)。
ホテルはドイツの民宿みたいな所だった。風呂はシャワーだけ。部屋は2つに分かれていた。
お互い好きな方の部屋を取り明日から撮影に備えシャワーを浴びて長い初日は終わった。まだ一台も撮っていないのに、どっと疲れた。
(メインの撮影話は次号に続く)