それぞれの道には、それぞれの風土、気候、環境などを積み重ねた表情がある。それはまた人生にも似ている。道は人生、道の数だけ物語がある。野口おやびんが走って来た幾多の道を、想い出話と共に語ろうか
第二回・国道2号線
(2010年8月25日更新)
前回の続きになるが、俺がR2を初めて走ったのは、1974年の夏だ。
名古屋から紀伊半島の海岸線をグルッと回り、大阪に至ってからR2をひたすら西に走った。
目的は九州だったから、大阪からは寄り道せず真っすぐにR2を突き進んだ。時折、瀬戸内海が左手に見えたりして、初めての道はそれだけで楽しかったりした。
神戸から先、相生市や光市は印象に残っている。どちらかの町で民宿に泊まり、もう暗くなっていたが、海が近かったので暑さ凌ぎで泳いだことを思い出す。
翌日もR2をひた走り、その日のうちに九州の土を踏むつもりだった。比較的順調に距離を稼いだが、下関に着いたのは夜10時を過ぎていたと思う。
若かったが疲れも感じ、眠気も催した。それに、その時間に九州に渡っても宿は無理だろうしキャンプ場も同様だろうから、と、路傍に築かれたコンクリート製の側壁の上で野宿を決めた。
夜遅かったので交通量は多くなかったが、トラックは結構通り過ぎる。そんな状況下でもすぐに眠れた。やはり疲れが溜まっていたのだ。
起きたのは早朝で、ちゃちゃと支度して先に進んだ。すぐ先が関門トンネルで、そこをくぐり抜けると九州だった。多分、R2の終点の門司区まで走ったと思う。
1977年にW3に乗る友と九州を目指したときもR2をほぼ完走している。そのときは大阪からR2を西に走って岡山で泊まり(その友の高校時代の友人の部屋に転がり込んだ)、翌日はいいペースで九州は熊本の友の実家を目指した。
大動脈である一桁国道は、標識が多いし、道に迷うことはない。地図は不要で、ひたすら標識に従って前に進めばいいから気が楽だ。市街地は混雑するが、町と町との間は交通量も少なめで意外と走りやすかったりする。少なくとも当時はそうだった。
初回の1974年のときと違って2回目のそのときは、岡山を朝出発したので、昼過ぎには下関近くまで到着したように記憶している。
それで、九州に渡る手段は関門橋だった。関門橋は1973年に開通しているから、1974年のときも使うことができたと思うが、どちらも有料で、関門トンネルのほうが通行料が安かったので俺はトンネルを選択したのだと思う。
2回目は、昼間だったので橋のほうが景色も楽しめるし、たまにしか来れないのに同じ手段で九州に渡るのは面白くない、と思って、友も同意したので、関門橋を使ったのだ。
トンネルと橋との料金の差がどのくらいだったのか忘れた。橋を選んだのは正解で橋の上からの眺めは最高だった。当時は駐停車禁止かどうだったか覚えてないが、橋の端にバイクを停め、写真を撮った。
その後北九州市を経て、その日の夕方には熊本県の八代に近い友の実家に着いた。
以降、30数年、滅多にR2を走ることはなかったが、仕事がらみで山陽地方に赴いて、何度か短距離を走り、数年前は広島にツーリングに行き、そのときも広島〜岡山間など、部分的にR2を利用した。
でも、今後、あと何度走ることがあるだろうか…。
- 野口眞一
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