KR250

KR250(1981)

ライムグリーン伝説・第一章


↑KR250は初めてカワサキ(川崎重工業)が投入したレース専用設計モデルで、シリンダーを前後に並べたタンデムツインは、幅が抑えられたコンパクトで独創的なレイアウトのエンジン。公表された最高出力は56ps/12250rpm。写真は1981年コーク・バリントン仕様。


 カワサキが開発したワークスマシンにはKRという専用の名称が付けられていた。

 先の序章に登場したKR-1に始まり、V4エンジンのKR-3までがKRの黎明期と言えよう。


→エンジンを左側から覗いたカット。吸気は当時メジャーな方式であったロータリーディスクバルブなので、キャブレターはサイドに配置。
※部分写真は全て1981コーク・バリントン仕様。


 KRとライムグリーンを常勝マシンとして世界に広めたのは、1975年に登場したKR250である。

 もともとは、ヤマハTZ250の牙城と化していたアメリカAMAデイトナの250cc市販レーサーを対象としたライトウエイト100マイルに参戦すべく開発された、完全なレース専用設計マシンであった。


→メーター類は350と同じ日本精機製。350と同様フロントメンテナンス用のスタンドマウントも付く。


 初期のカワサキロードレーサーは並列2気筒のロータリディスクバルブエンジンを採用していたため、構造上エンジン幅が広くなり前面投影面積が増し最高速度に少なからぬ影響を与えていた。

 その反省から考えられたエンジンレイアウトが、縦にシリンダーを並べるタンデムツインであった。


→1977年モデルからはツインショックからユニトラックというシングルサスに進化。シートカウルのチャンバー上部、ライダー乗車位置の後ろ側の穴は、フロントと同じようにリアスタンド用のマウント。ホイールは前後18インチ。


 同じロータリーディスクバルブながらが、1気筒分スリムになるこのユニークなエンジンはボア54、ストローク54.5mmのシリンダーを前後に配置し、それぞれに設置された180度クランクはギアにより噛み合い、ジャイロ効果を低減するためそれぞれが交互に点火し逆方向に回転する構造であった。

 初年度は振動問題に悩まされ参戦当初は成績が安定しなかったが、1976年の日本GPからは同時点火の360度クランクに変更されるとともに、伝説のレースメカニック、アーブ・カネモト氏らが加わり、デイトナで2位に入賞。以後安定した力を発揮するようになる。

 デイトナの入賞で自信を付け、1977年からはWGPへのフル参戦を開始。ミック・グランドが8位、清原17位、和田23位という成績であった。

 1978年はコーク・バリントンがライディングし、いきなり250、350両クラスを制覇。さらに250クラスはグレッグ・ハンスフォードが2位と好成績を収めた。


→スイングアームまでカバーしたテールカウルは後方に向かって大きく絞られている。


 KR250の快進撃はさらに続き、翌1979年もバリントン&ハンスフォードがワン・ツーを決め、 1980年はアントン・マンクが優勝。コーク・バリントン2位。1981年はアントン・マンク1位、ジャン・フランソワ・バルデが2位となり、KR250は4年連続ワンツーを決めて、KR&ライムグリーンの黄金時代を築いた。

 流麗とかスマートという言葉は似合わないかもしれないKR250は、雄々しくアグレッシブで、ドラマチック。KRとは記録にも記憶にも残るレーサーであった。

 だからという訳でもないが、コーク・バリントン、グレッグ・ハンスフォード、アントン・マンク、清原明彦、和田将宏など、KRを乗りこなしたライダーはとても個性的である。カワサキとKRの挑戦的な姿勢が、欠点を利点でカバーし乗りこなす、こんな個性派ライダーと波長が合ったのだろうか。

 また、ライムグリーンと言えば忘れてはならなローソンレプリカ。そのエディ・ローソンも1980年AMA250クラスにKR250で出場(シーズン途中にTZ250から乗り換え)し、シリーズチャンピオンを獲得していることも付け加えておく。

KR250(1979)

KR250_1979

1979年コーク・バリントンのチャンピオンモデル。

KR250(1981)

KR250_1979

1981年アントン・マンクのチャンピオンモデル。スクリーンを囲むようなカウルが特徴。

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