─ バイクが頼りにされる…神戸・淡路島大震災の時でもそうでしたが、大災害でバイクは非常に役立つツールとなる…?

宮城県では、県内の自動車の保有台数のうち、じつに10%にあたる15万台が津波で水没したと推計されています。

バイクの機動性や経済性は、これから地域経済を立ち直らせるための、大事な足として大きな可能性があると思います。ただ、いまのところ現地でバイクが走る姿はごくわずかです。しかも、若い人たちの姿はほとんどありません。

その中で、市内で設備会社の会長を務める本山裕次郎さん(80歳)は、今回の津波で、業務用と自家用のクルマを合わせて5台流されました。落ち込む従業員を前に、本山さんはさっそく原付を1台買ってきて、「クルマがダメだって、バイクで得意先を回りゃいいじゃないか。山になったガレキを見ると『負けるもんか』とやる気が出る。少々金がかかったっていいから、さっさと片付けてしまわなくちゃ何も始まらないだろう」と檄を飛ばしたそうです。

本山さんは、子供のころ旧満州から引き揚げてきて、修羅場をくぐって身を立ててきた方です。若い時の経験を振り返って、「よし、今こそバイクを手に入れて、動き回ってやろう」と、意気込んでいました。40年前、本山さんは、250ccバイクでテレビの販売営業をしていた頃を懐かしく思い出すそうです。「だから私は自動二輪の運転免許もあるし、本当は原付じゃ物足りないんだよ。大型がほしかったが、あいにく売ってなかったんでね」と苦笑いしていましたが。

本山さん、「こんな八十のジイさんでもバイクに乗って仕事を始めたんだから、若い人たちはこの程度の災害なんかに絶対に負けちゃダメだ。必ず復興できる。頑張れ!」と呼びかけていました。

─ 被災地に行ってみて、どんなバイクが役に立つとかいうのは感じましたか。

バイクは被災地で、いちばん苦しいときに、大事な人と人とのコミュニケーションを支えるツールとして役立っています。被災前のようにクルマが増えてきた現在も、渋滞する街のなかを効率的に移動でき、復興への活気を呼ぶ可能性にあふれています。

とくに今回の被災地は全体的に高齢者が多く、年配者の身近で便利な移動手段として、原付や125クラスのビジネスタイプ、スクーターなどが外出の機会を広げ、行動範囲を広げることに役立つと考えられます。

そして、復興の力となる若い人たちに私が思うのは、「男も女もバイクで動き回って活気を生んでほしい」ということでした。「三ない」で取り上げられた“自由の足”を、いまこそ手に入れて復興に役立ててほしい、と!。

─ そういうことを踏まえて、バイクやバイクライダーを含んで、これからの被災地支援についてはどう思いますか。

被災地の状況は刻々と変わっています。復旧が進む一方で、新たな問題も発生することもあるんです。道路が確保され、ガソリンが入手しやすくなった一方で、さっそく渋滞がひどくなり、がれきからこぼれた釘やガラスでパンクもかなり増えているのも、そのひとつです。被災者にとっても、必要なもの、ほしいものの量や内容が変わり、どんなニーズがあるかそのときどきで把握することが非常に重要となっています。

何かボランティアしたいというライダーも大勢いると思います。まずは、どこか被災地に知人がいるなら、被災者にいま何が求められているか情報を集めたうえで、現地に赴くべきでしょう。ただし、東北の人たちは、他人に助けを求めることに慣れていないので、何が必要か尋ねても、あまり具体的なことばが返ってこなくて、当惑することがあります。

これは、自治体に尋ねても同じ。本音では「何とか力を貸してほしい」と思っているのに、出てくる言葉は「一般のボランティアの方はいま受け入れていないんです」などと、断られてしまうことさえあります。

でもこれをもって、「被災地に行ってもやることがないらしい」などと考えないでほしいんです。

私たちライダーは、そもそも自由な精神がモットーではないでしょうか。あまり杓子定規に考えず、現地の人たちが喜ぶと思うことを、自由に考えて提供してみればいいんです。

─ 確かにボランティアが「余っている」地域と「足りない」地域が存在していると報道されています。そのエリアが何を求めているのか、ボランティア活動を始める前に、情報をゲットして自ら判断してという行為が必要ですね。

ある友人は、ゴールデンウイークにバイクで東北を回り、避難所に寄って、お年寄りにマッサージをしてあげたいと張り切っています。これからボランティアを考えている人は、現地は土ほこりがすごいから、標識やカーブミラーを清掃するのもいいでしょうし、避難所で御用聞きをして、バイクでメッセンジャーの仕事をしたら喜ばれるでしょう。うまいコーヒーを入れてサービスするなんていうのも、ちょっとした贅沢ですよね。

いいことを当たり前にやって、それが迷惑だと非難されるなら、それはどこかに非常識な部分があるからに違いありません。そこをわきまえて、被災者に思いやりをもって接すれば、現地で力になれることは無限にあるはずです。

ツーリングシーズンです。バイク仲間と相談して、何か被災地の人たちが喜ぶことを考えて、北に走りに行ってみてはいかがでしょうか。


               *  *  *  *  *  *  

そしてその状況を聞いた私は数少ない読書歴の中から、今読みたくなった一冊の小説を選びました。

アーサー・C・クラーク著「太陽系最後の日」。

あの「2001年宇宙の旅」(原題スペース・オデッセィの方が呼称的には好きです)の原作者で、映画監督のスタンリー・キューブリックと共に生み出したストーリーと映像に若かった私は、たたきのめされるような衝撃を受けました。

クラークの最初期のこの短編小説は(ハヤカワ文庫で再録・出版されています)、私が当時読んだ作者コメントによれば「あまりに高い評価はありがたいが、だとすると私は最初期作から一気に下降線をたどっているのだ」という表現でも印象に残っています。

 我が太陽が新星爆発を起こす直前、地球を40万年前に調査し60万年後に再調査をする予定だった「連邦」は、200光年離れた惑星に地球からの電波が届いており、何らかの知的生命が奇跡的に早く進化していることを察知して、この地球の知的生命体(と思われる存在)の救助に向かいます。確かにその地球には電波を宇宙に発信してからたった200年しか経っていないには驚くべき進化をした生命体の遺物が残されていました。しかし、その生命体:人類は地球のどこにもいません。大地の奥深く隠れてこの致命的な災難をやり過ごす知恵しかなかったのだろうと「連邦」の宇宙船は地球を去ります。

そしてその帰路。この惑星:地球の通信センターが惑星間ではなく恒星間に向いて発信していることが分かります。その経路をたどっていった「連邦」の宇宙船は「星雲」のような存在に直面します。

それこそ、かつてないほど巨大な、旧式ロケットによる、遥かなる恒星を目指して旅する人類の「船団」だったのです。

以下、原作より抜粋です。

「これが例の種族です。電波を使うようになって200年しかならない種族。あれは史上最大の船団です。非常に原始的です。最寄りの星にたどりつくのに、何世紀もかかるでしょう。何世代かあとの子孫が、旅を成就してくれるだろうと希望をいだいて」

「ねえ、きみ。わたしは、あの連中がなんとなく怖いんだ。あの連中は、こうと決めたら梃子(てこ)でも動かない種族だと虫が知らせるんだ。あの連中には礼儀を尽くしたほうがいい。数の上ではわれわれのほうが優位だとしても、10億対1ぐらいの差しかないんだから」

ジョークに笑い声があがった。

20年後、その言葉は、笑いごとではすまされなかった。

この短編は「あまりに楽観主義」という評価もあります。しかし、人類についての、ある意味爽快なまでの前向きな、勇気と誇りを与える傑作だと私は思っています。

勇気を!

(2011.05.06更新)

古・編集・長 近藤健二
古・編集・長 近藤健二
ミスター・バイク本誌の編集長を4代目(1977年9月号~1979年10月号)&7代目(1985年4月号~2000年6月号)の永きにわたり勤め上げた名物編集長。風貌も含め、愛されるキャラクターであり、業界内外に顔が広い「名物編集長」であるところは万人が認める。が、名編集長かといえば万人が苦笑で答える。悠々自適の隠遁生活中かと思えば、二輪業界の社会的地位を向上すべく老体にムチ打って今なお現役活動中(感謝)。ちなみに現在の肩書き?「古・編集・長」は「こ・へんしゅう・ちょう」ではなく「いにしえ・へんしゅう・おさ」と読んでください。

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